2014年12月31日水曜日

せつなさだけを味わって生きていきたい−山田詠美「せつない話」

卯野です。せつない話が好き。
2014年のうちに書いときたかった「せつなさ」の定義について。山田詠美の解釈をログしときします。

山田詠美はせつなさを、「ある種の特殊なフィルターを持つものだけが味わえる刹那の感情、大人の極上の消費」と定義づけている。



…それでは「せつない」という感情はどうか。これは味わい難いものである。
外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーヴメントである。まったく味わえない人もいるし、ひんぱんに味わう人もいる。何故かというと「せつない」という気持ちに限っては、心の成長が必要だからである。つまり、それは、大人の味わう感情なのである。
    
           ーーー山田詠美「せつない話」収録「五粒の涙」より


私的にはsecret baseの「君がくれたもの」とかジッタリンジンの「夏祭り」とか、「スタンド・バイ・ミー」とか、ジュブナイルにだって十分「せつない」フィルターは存在すると思う。正確には、人は「せつない出来事を通して子供から大人へ脱皮する」んだろう。

少しの甘さと痛みでフィルターの精度は上がる。それを知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない。頻繁に味わえるかは、自分の中のフィルターに気づいているかどうかによる。

そして、自分のせつなさフィルターに気づき醸成するには、より上質の「せつない物語」に身を沈めるしかないのである。




・収録作家…吉行淳之介/瀬戸内晴美/田辺聖子/八木義徳/丸谷才一/山口瞳/村上龍/山田詠美/D.H.ロレンス/A.カミュ/F.サガン/H.ミラー/T.ウイリアムズ/J.ボールドウィン/

↑この中の瀬戸内晴美「けものの匂い」が今んとこ生涯のベスト小説です。




・収録作家…すみません風呂で読んで紛失してしまい現在手元にあらず。有島武郎、宇野千代など、なはずです。



「せつない」感情の味わえる時間はだいたいが刹那的で、その感情が沸き起こる理由を論理的普遍的には形容しがたい。
だからこそ、そういうものをこそ、短歌で、物語で、口頭で、鼻歌でステップで、適切なツールならなんでも、しっかりピンしときたい、できればだれかと共有したい、と思います。



2014年12月30日火曜日

これから大事なひとをなくす(かもしれない)すべての人へ−朔ユキ蔵「お慕い申し上げます」完結6巻(と、私)


卯野です。泣いてる。今これ書くために3回め開いたけどその都度泣くよ。なんだこれ。
今年に家族の死を迎えたばかりなのでかなり主観的に読んでしまった感はある。
「出会うべきときに本に出会う」ってのを久々に感じた1冊でした。
以下コミックス内容への言及を含みますのでご注意ください。




ざくっとあらすじ

主人公は主に3人。妻帯して在家の寺の存続を守るか、戒律に従い生涯独身を貫くかで悩む跡取り坊主、清玄(せいげん:6巻右側)。清玄の同級生で自ら仏門に入った清徹(せいてつ:6巻左)。清玄のもとへお見合い相手として訪れるが、自らの妬みや恨みの心に悩まされ仏門へ興味を示す節子(せつこ)。
清徹の病に始まり、それぞれの生老病苦をどう受けとめ、受け入れていくかの物語。


感想

心に残ったシーン、言葉を箇条書きで。

・生老病苦で人と成る


この身を裂くような苦しみをどうすれば・・・
清玄が清徹の通夜の読経へとむかうにあたり心が定まらず、祖父の峰博へ訪ねるシーン。

そして清玄は檀家ほか弔問客に向けて「生老病苦で人と成る」と話す。
人が逃れることのできないものに生、病、老、苦があるとして、人はその4つを経ながら人になり、愛する人に先立たれ人となり、そして自らの死を迎えて人となる。

家族の死を迎えたばかりの私にとっては苦しみを追体験し、またそれを救われるシーン&言葉でもあった。



・石が生み出す「波紋」をどう受けとめるか


峰博じいちゃん(ボケちゃう)の亡くなる間際のシーン。
人と関わること、またその生き死には個人の心に向かって投げ込まれる石のようなもので、石が生み出す波紋があるだけ「とても豊かじゃ」と峰博おじいちゃん。
人は皆生きて亡くなる。その事実から耳目をふさぐのではなく、石の波紋を受けて自分の僧形がどう形作られるか。
うん、これからちょっとだけ受け入れやすくなるかも。




・掲載誌休刊とは関係なく6巻できれいにまとまったラスト


連載してた「ジャンプ改」が休刊になったけど多分それは影響なく、最初から構想通りのプロット進行だったかと思う。清徹の死がテーマの中心で5巻ラストでもう死が決定してたので、むしろ6巻内できっちり綺麗にまとめててすごい、と思った。



・人間描写、仏教、ともにすべてを描ききってはいない


の割に6巻後半ちょっと駆け足な印象を受けたのは清玄のお母さん(とお父さんの関係)、節子がどう自分の中の妬みそねみを克服して前を向くかが1話ずつコンパクトにまとめられたからかな〜。
仏教の考え方について気になる人はぐぐったり他のもうちょっと入り込んだ入門書を手にとってみてね。「宗教」と考えずに、セルフセラピーみたいな感じで触れてもいいと思います。


小池龍之介さんのほうが読みやすいかな。


・ラストせつねぇえええええええええええええええええ


ラストの終わり方は「天晴!!!!!!」「ええええええええこの終わり方かよおおおああああああああ」の2つの思いが入り混じってます。
無常ナリ。




総括

生きること死ぬことについて、説教くさくなく楽しみながら考えられる良いマンガでした。ちょっと今苦しいかな、とか、自分の中の波紋を振り返りたい人にはオススメです。


参考リンク

とても参考になりましたm(_ _)m↓↓

朔ユキ蔵『お慕い申し上げます』第6巻(完結)について|ぶり返したオタク

5巻についての感想はこちら

「お慕い申し上げます」5巻 −心も無常、呪いもまた無常 - nerumae


2014年12月23日火曜日

「持たざるメガネの成長」が楽しみ、なのだけどー「ワールドトリガー」葦原大介


髪切ってスッキリ、卯野です。カットしてるあいだに既刊8巻までコミックス読了しましたので感想ざくっとログ。
私的総論をさきにいうと「これアニメのほうが面白いんじゃないかな」です。



あらすじ


舞台は「近界民(ネイバー)」と呼ばれる異世界の生命体によって以前壊滅的被害を受けた日本・三門(みかど)市。人類は、「ボーダー」と呼ばれる対ネイバー対策機関によってたびたび襲撃に現れるネイバーから守られていた。

そのC旧隊員でとびきり弱いが正義感の強い主人公、三雲 修(みくも おさむ)は、不思議かつ圧倒的な力でネイバーを倒す白い髪の少年、空閑 遊真(くが ゆうま)と出会う。実は彼は異世界から来たネイバーだった。

遊真は自分の目的のためにも修、そしてボーダーに協力し、ネイバーからの「侵略」に対抗する。



ざくっと雑感

・広大かつよく練られた世界観

SFものなんだけど近界民(ネイバー)、トリガー、惑星国家、戦闘・武器のルール、キャラクターのひとりひとりに至るまで細かいとこまでよく設定してるなーって感じる。
戦闘上のトリガーの相性とかHUNTER×HUNTER、東京喰種なんかに似てるね。


・オサム+ユーマ=正統派ジャンプの主人公

ストーリー展開はオサム6、ユーマ4くらいの主人公比率。
ユーマは異世界人で向こうで「毎日戦争してた」というだけあって、最初から最強無敵のフルスペック設定。
対してオサムは先輩から「持たざるメガネ」と称される通りクソ弱いフツーの人。でも正義感が強くまっすぐで、自分の弱さを自覚して学習しながら強くなるタイプなので、読者が感情移入しやすいとしたらオサムですね。
お互いが交流のなかでどう変わっていくかも見もの。

ちなみに作者さんいわく「自分はこの物語は第1話の扉絵の4人全員が主人公だと思ってる」だそうです。
4人は先に紹介したユーマとオサムの他、生まれつき膨大な量のトリガーを持つ「雨取 千佳(あまとり ちか)」と自己肯定力が異様に高く「予知能力」をもつ迅 悠一(じん ゆういち)。


・腕や首はフッ飛ぶけどマイルド

最近流行りらしい(?)残虐描写、このマンガも腕や首ふつーにフッ飛んだり輪切りにされたりしてるんだけど人間は死なない。ぜんぜん残酷に感じない。理由は戦闘している身体が実体ではなく戦闘用の「トリガー体」だから。なので血もでなければ内蔵もでない。
こういう表現手法もあるのか。


・なんとなく「構想を説明してる感」でイマイチのりきれない

読んでて一番感じたのがコレ。
「いや…アレ…?構想、設定、キャラとかは面白いはずなのになんでだ…?」ってずっと想いながら読んでた。
世界観はカッチリしてるんだけど読んでて「うおおおお楽しいィヒィィ!!」って興奮があんまり湧き上がってこない。
あまりにもカッチリ、緻密すぎて、おまけに画もスッキリ綺麗すぎて、説明を1回頭の中で咀嚼してからマンガ描写を追うので、アクションとか画が止まって見えてしまう。「マンガ」として100%楽しめない。今んとこ。
セリフの説明と画の描写による説明の供給比率が噛み合ってないんだろうか、単に私のキャパが小さいからだろうか…。売れてるとこ見ると後者っぽいよな…。

「アニメのほうが面白いかも」と感じたのはそこが理由です。てか「私には」ワールドトリガーはアニメのほうが合ってるのかもね。




それにしてもいま週刊少年ジャンプ読む年代ってこの話全部把握できてんのかすげーな。
おいちゃん衰えを感じるよ。










2014年12月17日水曜日

力に翻弄されない”シンイチ”−岩明均「七夕の国」

「七夕の国」廉価版がコンビニにあったので衝動買い。
 たぶん私は岩明均のファンなんだと思う。


ちなみにコミックス版は1冊669円前後で全4巻、上記廉価版ムックは4巻ぶんが1冊にまとまってポッキリ1000円。

未読の方にさきに言っておくと、
このマンガは予備知識なにもなしで読んだほうがミステリ映画みたいに楽しめると思います。
買って損はないです。この先に書くあらすじ・ネタバレは読まないほうがいいです。
でも寄生獣の延長を期待していると肩透かしをくらうかも、といった感じ。







ーーーここからあらすじ・ネタバレありーーー







あらすじ

主人公は、物質にごく小さな丸い「穴」を開けることができる「超能力」をもつ大学4年制、南丸洋二(みなみまる ようじ)。「能力技能開発サークル」の部長をしているが、その大らかな性格のためか、就職も決まらず、サークルの後輩からもナメられる始末。

ある日通う大学の教授、丸神正美(まるかみ まさみ)がとつぜん失踪する。南丸は丸神のゼミ生2人と教授の助手で講師、江見 小百合(えみ さゆり)に呼ばれ、ともに丸神教授の行方を探すためA県丸川町を訪れることに。
実は、南丸はその地、「丸神の里」にだいだい伝わる能力を継ぐ者だった。里に伝わる能力は2種類。ひとつは、「手がとどく者」ー空間に丸い穴を空け、その質量分の物質をどこか別の次元へ削りとばす能力ー、もうひとつは「窓をひらく者」ー別の次元を見る能力ー。

南丸は能力の後継者として町民から手厚い歓迎を受ける一方で、町一番の能力者で「神官」であった頼之の失踪、教授の失踪についてなにかを隠そうとする不審な町民の態度、この能力にかかわる古くからの因習を知ることになる。そして外の世界で起こる頼之の力を使った「けずり魔」事件。
果たしてこの能力はいったい何なのか、だれがどうやって授けたのか。
南丸にとって、丸神にとって、この世界にとって、必要な力なのか?





ざくっと感想


・「能力に翻弄されないシンイチ」としての洋二
この「七夕の国」って寄生獣終了の翌年から始まった不定期連載(3年で完結)。
ストーリーは寄生獣同様SF、主人公まきこまれ型なんだけど、こっちの主人公ナンマルは寄生獣の新一に比べてどこまでの泰然自若でマイペース。
モチーフとして似通うところはあるけど、新一とは対照的に「力」に翻弄されない。どこまでも変わらずに「力」を「ツール」として、自分は何ができるか、を地に足つけて考えられる人。そしてその力をなくしても平気な人。
それがこのマンガの救いでもある。

・「窓」の設定が緻密
寄生獣の寄生生物の設定同様、この「窓」の能力と丸神の里の秘密は緻密にして精巧。
こういうの細かく考えれば考えるほどリアルさが増すのね~。


・「ひらく者」の能力が曖昧模糊
「窓にとどく者」の能力、つまり主人公ナンマルや丸神教授、頼之やヒロイン幸子の兄高志のもつ「窓=穴をつくる」能力の設定はミギー同様かなり緻密なぶん、「窓をひらく者」の能力がなんだか曖昧モコモコしてたのが気になった。
やっぱご先祖様(=宇宙人?)がこの土地を守るよう強制的に見せてきた抑止作用でFAなのかなあ。でもそれって能力なのか?

ラストで頼之が穴を「外ではなく玄関」と解釈して、自らが作った穴で「窓の外」に行ったことも含めて考えると、
窓の外=群れからの疎外、死、孤独、恐れ、未知、みたいなメタファーがあるんだろう。

・幸子ちゃんの設定がヒロインと思えないくらい暗すぎ
まあそんな暗い世界何度も何度も見せられて兄から虐待も受けてたら暗くもなるだろうけど、それにしても暗い。暗すぎる。
まるで寄生獣全体の暗さを幸子ちゃん一身で引き受けているような暗さやでぇ。

・「七夕」「力とツール」「因習」がモチーフ
このマンガで描かれているものの一つとして「力に翻弄される愚かさ」があると思う。
幸子の兄高志が力を利用して金儲けしていた詐欺セミナーとそれに通う人々とか、強制的に見せられる「窓の外」の夢におびえて、もう来るか来ないかもわからない「先祖(=宇宙人?)」の到来を待ち何百年も形骸的な祭りを絶やさない丸神の里の民とか。
そして頼之の能力を商業利用しようとする武器商人的なおっさんとか。

とくに丸神の里の能力者以外の者は、ことあるたびに会合しなければ何も決められない「愚衆」みたいに描かれてる。
ラストで浴衣姿の幸子ちゃんをバックに見える「丸神の祭り」の焚き火、あれは「もう中身があるかどうかわからない力、権威」に振り回され縛られても、それを拠り所にしないと生きていけない蒙民、そしてその因習は続くんだろう、ってメッセージかなあ。
鎖に繋がれて窓の外をみないほうが、何も考えない・変えないほうがラクだもんね。


関係ないけど因習とか丸神の民の封建的なウチ/ソト意識とか、私の住んでる田舎っぽいなあと思いました。




おまけ



278 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/02/08(金) 17:43:52.85 ID:Dg5GZckt0
この人の描く死体ってちゃんと死んでるから凄いただの切断された手とかじゃなく死んでることがわかる
どんだけ死体好きなんだろうな
寄生獣、ヒストリエの岩明均 半生を語る 【2chまとめ】ニュース速報嫌儲板


ほんとそう思う。冒頭の喜十郎の生首とかほんと死体のそれだもんな。
岩明先生どんだけ観察してるんだよ。


言葉ったらずですがこのへんで。

2014年12月16日火曜日

20141216少子化とかメモ(主に疑問点)

ちょっとメモログ。



日本の少子化が止まらないのは、若者が子育てよりも自分のことが大好きだから


先にBLOGOSで同記事読んでたのでざくっと読感を残してた


「若者が子育てよりも自分のことが好きだから少子化になる」ってのは前ちらっと読んだ「人口学への招待」にも書いてたな。

「人口学への招待」で少子化問題の大枠にトライ |ナラティブモンキー


「若者は子育てよりも自分のことが好き」ってのは今も昔も当たり前の話。
前述した本には昔に比べ何が変わったかという問いに、「外圧の多寡」を挙げてる。
社会の目とか世間体とか「人は結婚して子供を持って一人前」といった価値基準が当然のように昔はあって当然のように押し付けられた。それにぶらさがってお見合いシステムも機能していた。今は社会的外圧の根拠がくずれてしまってる。



ここからは私見。
もしアメリカ人が日本人と比べて本当に「子供大好き!」であれば、その根底には国教も関係してんじゃないかなあ。
「産めよ、増えよ、地に満ちよ」は旧約聖書の創世記だけど、カトリックでも信仰の範疇に入ってるんだよね。
仏教でそういう教義あったっけか…。
でもどっちにしてもリンク先で引き合いに出してるアメリカも出生数は低いはず。


あと、マンハッタンでのナニーサービスも例に挙げているけど、ナニー含む育児補助サービスのメリット・デメリットと、それらがいま現在のこの国のどの階層の働き方に適切かはもうちょっと精査したほうがいいと思う。
少なくとも公的保育施設の拡充で働きやすくなる階層はたしかにいるし、ナニーみたいに高額でも預け時間の融通があったほうがいい人もいる。保育所以外の他のサービスはどれだけ確立されてどれくらい普及してるんだろ?

そういえば横浜で「保育ママ」制度とかあったよね。


横浜市には保育ママはあるの?[はまれぽ.com]






少子化周辺て考えると十把一絡げにはできないしデータの裏付けなしで部分部分を切り取るのはやっぱ恣意的感情的だと受け取られてしょうがない(私もよくやっちゃうけど)。
あ、専業主婦/夫への減税とか価値観の刷新とかはあったほうがいいと思います。





2014年12月15日月曜日

アニメ「寄生獣」途中経過の雑感


卯野です。さっと書き。
アニメ「寄生獣」11話までHuluで視聴だん。おもしろい。



「寄生獣 セイの格率 | 青い鳥」を視聴






今の時点で感じたことつらつらと


・ミギーの声に違和感
さいしょ女性の声優さん(平野綾さん)だったことにびっくりした。
マンガで読んでたときはもっと男性の紳士みたいなイメージだったなあ。9話くらいから違和感は感じなくなってきた。

・新一、里美の造形に違和感
最初みたとき「マンガとアニメは別ものだなこりゃ!」と思ったけど、転換点ともなる新一の母が殺されたあたりから違和感はなくなった。
新一が最初メガネかけてるのは、転換点での新一の変化をよりわかりやすく表現するためかな。

・寄生生物が動くシーンはステキ
なめらかな動きで違和感ない。しゃくしゃく斬ってて良い。


・肝心な見せ場はマンガに軍配
私は。たとえば11話までの時点で、
新一の母をのっとった寄生生物が母の顔で(無表情で)「なぜだ!殺したはずなのに!」っていうとこ
田宮良子が新一を見つけるとこ、「『この種を食い殺せ』だ!」って凄むとこ
新一が島田秀雄のことを考えながら鬼の形相でふりかえったら里美がいたとこ
里美が新一に「ごめんなさい ひとちがいでした」っていうとこ

あたりとか。挙げて思い出したけどこれらいずれも原作で背景なしの大コマなんだよね。


あと加奈が夢に観た新一だけめっちゃ原作に近かったのがちょっと笑った。


アニメはアニメで面白い

なんだかんだいいつつもアニメはアニメとしてすごく面白い。
面白いんだけど、原作マンガをまったく読んでない人がこのアニメを観たらどんな感じでみるのかなあというのも気になった。
原作読んでなかったほうがより楽しめたんじゃないかなあ。










2014年12月2日火曜日

救いと絆の3篇-海音寺潮五郎、コナン・ドイルほか 百年文庫「絆」より


はい、泣きました。
時代もの×人情劇の組み合わせに弱いのよ。もう少し早く生まれてたらオレオレ詐欺の格好の餌食になってた自信があるね。





ポプラ社百年文庫「絆」
3篇とも、人と人との絆にフォーカスをあてた珠玉の作品。
書き手は海音寺潮五郎、コナン・ドイル、山本周五郎といずれも危なげなく読める大作家。
人を信じたい人、救いのある物語を読みたいときにおすすめです。
以下ざくっとあらすじと感想。

※ネタバレあります



善助と万助 海音寺潮五郎 1958年


あらすじ

「黒田節」で歌われている母里但馬友信(もりたじまとものぶ)、幼名善助。
そして善助の兄家老の栗山備後、幼名万助。
とにかく頑固一徹の変わり者、無法者な善助の良き導き役となってくれと主君の黒田如水から命じられる万助。
如水亡き後その息子の長政に仕えるも、善助=但馬の無法、頑固はいっこうに治らない。
主君長政直々の助言にも耳を貸さない但馬にとうとう万助=備後は業を煮やし、涙を流しながら但馬を打ちつける。


感想

この母里但馬友信って、史実でも相当頑固な変わり者として有名らしい。
戦は超強いんだけど「武士に二言はない」みたいな感じで自分の一度いったことは絶対曲げない、みたいな。
徒弟の熱い情を描いおり、人形劇とか歌舞伎でも楽しめそうなお話でした。
個人的には、但馬の「いやでござる!」連呼のかけあいのところが「大人で武士なのにめっちゃ大人げねえw」って笑った。
めんどくさいけど可愛らしい。



五十年後 コナン・ドイル 1890年


あらすじ

舞台はイギリス。ジョン・ハックスフォードは勤めているコルク工場のリストラに合い、代わりに、雇い主からカナダはモントリオールのコルク工場求人を紹介され、向かうことに。
恋人のメアリーと祖母へ「向こうで落ち着いたら必ず呼び寄せるから」と言って船旅でカナダへ向かったが、その後彼からの頼りはぷつんと途絶えてしまった。ジョンは悪銭宿の暴行にあい、記憶を失っていたのである。
それから50年、ジョン・ハーディとして勤勉に働き財をなした彼は、ふとしたきっかけで記憶がよみがえり、メアリーの待つイギリスへ急ぎ戻る。
しかしメアリーはすでに病に倒れ、目が見えなくなり、死の淵に立っていたーーー。


感想

シャーロック・ホームズ読んでたときも思ったけど、コナン・ドイルって独特の言い回しで最初なかなかすっと頭に入ってこない。海外文学になじみがないからかもしれないけど。
それでもストーリーが進むにつれて訪れたことのないイギリスの港町、鰊の匂い、メアリーとジョンの顔に刻まれた深い深い皺が手に取るように伝わってくるのがすごい。
メアリーがジョンの到来に気づかずに、死の淵に立ってなお「あの人が帰ってきたら入用でしょうからあのお金を渡してください、私は楽しく暮らしていましたとお伝えください」とジョンへの言伝を神父に頼むところは、ああ泣かせにきてるゥ!ってわかってても泣いちゃった。メアリーあんたええ女や。

蛇足ですがコナン・ドイルは開業医で、診療所のヒマ時間をもてあまして小説を書いていたそうです。
初めて知った。





山椿 山本周五郎 1948年


あらすじ

父の代からの作事奉行を継いだ28歳の梶井主馬(かじい しゅめ)は、18歳の須藤きぬという女を嫁として迎える。
しかしきぬは一向に主馬にこころもからだも開こうとはしない。とうとう自害までしようとするきぬに主馬は理由を問う。
きぬは、梶井への嫁入り前に榎本良三郎という男と恋に落ち、彼に操立てしていたのだというーー。

感想

これきぬが実は生きてて、主馬が榎本ときぬを引き合わせてめでたしだなと思ったら、そうは簡単にいかない描写でぬぐぐ上手い!でした。
コナン・ドイルの「五十年後」でも思ったけど、読者が大体のラストに気づいちゃっても、そこまでを引っ張ってひっぱって「ああ!」と感動させる力が必要なんですな。わかってても泣いちゃうもん。
ああ!


あと蛇足ですが作事奉行は江戸時代における幕府修繕の管理職。つまり主馬は公務員、官僚なんですな。


次は「恋」「星」「灯」を読む予定だよん。

2014年12月1日月曜日

子どものころハマったマンガを再読するの面白い-清水玲子「月の子」

卯野です。
子供の頃にハマったマンガを再読してみるとまた違ったものが見えてきて面白いよ、というお話。
ネタバレ含みます。

清水玲子「月の子」

1988〜92年にかけて少女漫画雑誌「LaLa」に連載されたSF作品。
アンデルセン童話「人魚姫」をモチーフにして描かれた。文庫版全8巻。




あらすじ

舞台はNY。かつて天才といわしめたが今は売れないダンサーのアート・ガイルは人身事故をおこし、事故のショックで記憶を失ってしまった少年(?)をジミーと名付け、面倒をみることに。
実はその少年ジミーは人魚族の「女性体」で、産卵のために兄弟たちと月から地球へかえってきたのだった。
そしてジミーの母親は童話「人魚姫」のモチーフにもなり、人間の王子との種族をこえた恋で仲間の人魚族たちに多大な被害をあたえた「セイラ」。

ジミーが人間であるアートと恋におちればふたたび世界の均衡はこわれ、この星は滅んでしまうと預言する人魚の長。

ジミーのきょうだいで彼を憎むきょうだいのティルトは、同じきょうだいで「スペアの女性体」であるセツの命を救い、ジミーの代わりに彼を女性体にしようと魔女と契約、交換条件にこの地球を破壊すると約束してしまう。

人間「ギル・オウエン」の姿を借りてチェルノブイリ原発事故を起こし、ジミーの命と地球そのものを壊そうとするティルト。

ジミーとアートの恋はこの世界を滅ぼしてしまうのか、それとも――。




はい。以下、再読して初めてわかったことザクっと。

名前にこめた意味

ジミー(本当の名前はベンジャミン)のきょうだいは2人いて、名前はティルトとセツ。
この物語において「裏切り者」は2人いて、公にはジミーが同族を裏切ってまた人間(アート)とくっつこうとしてやがるって非難されるんだけど、実際に魔女と契約して人魚も人間も殺しちゃえってなるのはティルトなんだよね。

で、「ティルト」は「tilt」=傾く、つまりこの物語において世界のバランスを壊そうとする役割。
そうなると、それと対の位置にいる「セツ」はたぶん「set」。母セイラが結ばれるはずだった人魚の血を引くショナと恋に落ち卵を身ごもることで、世界の傾きを修正しもとの位置におさめる役割だったのではないかと。
(追記:「ベンジャミン」は観葉植物のあのベンジャミンしか思いつかないんだけど、作者が意味を込めるとしたら花言葉の「信頼」とか「永遠の愛」とかなのかな?

物語の入りはジミーとアートからだったけれど、ティルトとセツ、セツとショナ、傾きが最終話にむかって正常位置に修正され、各々の願いが叶えられる救いの物語だったのだなあと思います。

改めてみるとティルトに一番感情移入できるかな。汚れ役を一身に受けてきたその歪んだコンプレックスが人間くさい。


イデアと文脈、隠しモチーフの話

先日「文脈で解釈、分析しようとせずにイデアで作品を楽しめ」という批評態度に関するエントリを読みまして。
作品を語るときになぜあなたは「文脈」を使うんですか?(7213文字)【更新】 - 猫箱ただひとつ




「イデアで楽しむってなんだ?魂で読め!ってこと?」と疑問をもちつつ再確認したのは、「文脈を主にして作品を分析するのはたしかにもったいないことだけど、作品から文脈を完全に切り離して楽しむのはやっぱり難しいし、それも完全な楽しみ方とはいえないんじゃないかな」ってこと。
たとえば「月の子」ももともと「人魚姫」という物語の文脈の上に成り立っているものだし。

単純にストーリーを追っても面白い。
さらに自分が成長して、いろんな経験や感情、知識を得てから再読して、登場人物の心の揺れや隠されたモチーフを再発見できる。そんな作品ってスンバラシイですねっ(水野晴郎風に)。

あと幼少期に美しい清水玲子先生の画に触れていたのもいいことだったなあー。
ミュシャの模倣とかホント美しいし、残酷な描写もよりいっそう引き立っている。


清水玲子先生は現在連載中の「秘密 -トップ・シークレット- 」、小学館漫画賞を受賞した「輝夜姫 」もおもしろいですが、シリーズ物SFの「竜の眠る星」のジャックとエレナの遊星旅行中のやりとりも素敵ですぜ。





好きなマンガをベタぼめするのは楽しいっ!




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