2014年10月6日月曜日

エロ神がかってる5編――川上弘美「なめらかで熱くて甘苦しくて」

抹茶です。
川上弘美は同じ作品でも「なんとなく好き」って人と「うけつけない、抽象的すぎて何言ってるかわからない」って人の声が半々に聴こえる作家だなと思う。
作品にもよるけれども詩歌に近い読感が自分に合うか合わないか。ちなみに私は好きなほうです。



さて「なめらかで熱くて甘苦しくて」は「性欲」をテーマにした5編からなる短篇集。
インタビュー(『なめらかで熱くて甘苦しくて』 (川上弘美 著) | 著者は語る - 週刊文春WEB)でも述べられているとおり、これまで性愛の「気持ち」の部分が中心に描かれてきたのに対し、もっと生理的な、本能に近い「性愛」について描写してみようという試みだそうです。

おなじみ川上弘美の文体で淡々と連なり、直接表現はないのにそれがかえって神話中の神事の交合みたいになってて最後の編では濁流に流されあわわわわ。

以下、収録されている5編のざくっとあらすじ紹介と私の感想です。ネタバレはなるべくないつもり。


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aqua 
女子2人の小中学校への成長につれてまとわりつく性と死との話。
話の中心にいる田中水面(みなも)の周りには彼女を好いてくれる男子もいるのだけど、読感としては「あたし、前世の記憶があるの」という田中汀(みぎわ)のほうへセクシュアルさを伴った関心がむいている。


*たしかにこの時期って異性より少し大人びた同性のことが気にかかるのよね。
水面は自慰もおこなっちゃったりするんだけど性への実感がともなわない。その彼女に母と父との間に起きたある出来事で、「性」が急に現実的な重力をともなって彼女を少し昏くする。この感じが大人になるってことなんだろうか。



terra
突然事故死した「加賀美」の骨をもって、同い年で同じ大学に通っていた「私」と、彼女と性的つきあいがあった男性、沢田が彼女の実家へ旅をする話。


 気がつくと左手首をくびすじのあたりに当て、もてあそんでいる。一人では体がからっぽのような気がして、すぐにあなたを求める。
 あなたの部屋に入ってたたみに横ずわりする。体の下の方がからっぽだ。はやくあなたにみたされたいと、体が思っている。気持ちで思うよりも、体で思うほうがこのごろは強いようだ。
 こんなふうになってる自分が不思議だ。あなたがいなければ死んでしまう、というようなものではない。あなたを愛する、というものともちがう。ただあなたがほしくて、あなたと体を重ねたくて、それは性欲というものよと、いつか誰かに言われた。



といった詩歌的な幽玄なモノローグと現実のやりとりが行き来するかなり独特なストーリー進行。
最後読んで「えっ!?!?」ってなって、もっかい1から読みなおした。


*モノローグの部分って、沢田が「なんかあいつ、すさまじいところがあったんだよなあ」っていうところの「すさまじいところ」だったのかなあ。現実世界の日常会話はわりと普通にできるのに、自分の中に底の抜けた柄杓があるような、いつまでも満たされない部分があるようなそんな感じ。それをセックスと、その行為を通した誰かで満たそうとしてたのかなあ。そんな感じはなんとなく私にもあります。




aer
「とてもやわらかくて垢がたまりやすくて熱くてよくわめく」ものを身ごもった「わたし」。
それまで「酒と煙草と辛いものをこのんでいた」わたしがすっかりつくりかえられ、子どもによって変えられた世界に独特の表現方法でおそれおののくサマがおかしい、5編の中間の箸休め的作品。

*これまで読んだ川上弘美の登場人物のなかで一番地に足ついていてポップでファンクでキャッチーだと思う。ホラ川上さんの女性って「なんだかよくわからないままに」「あわあわと」まるまっちゃったり蛸とビール飲んだりセックスしちゃったりするじゃん。

ただの「私」を騙るものが、「私」はコドモをよろこびに満ちて受け入れるのよ~、コドモはかわいいものなのよ~オ~ソ~レミオ~~という「ふり」をしているだけなんじゃないか

とか、

神(©日本及び世界全般)

とかとか。


ignis
伊勢物語を参考にしたというこの物語。千葉のクラブで知り合った元ホステスの「わたし」と青木の2人暮らしの物語。
ignisというタイトルのとおり火のような嫉妬がお互いを焦がし光を発して傷つけてしまったり、わたしが知らない「流し」についていっていたしてしまったり、性欲をともなう性欲という言葉だけでは表現できないものが付随している内容です。


*読んでいる最中は何が起こるかわからず不穏でびくびくついていってる感じ。犬が噛み付いて傷つけてくるけどそれは現実の犬じゃなかったり光を放ったり、現実語りと抽象性とが入り混じってきます。
これ伊勢物語読んだらちゃんと内容と表現がリンクするのかな。




mundus
洪水の被害にあう一家のクロニクル的な物語。
ある一家のものに洪水にながされて「それ」が訪れる。自分がこんなに女にだらしがないのはそれのせいだと二人の愛妾のもとへ向かう祖父、それが家にあがるのをいやいやながら見る祖母、家出をしてあやうく列車の中で女たちとともに糊になる母、座敷に寝転んでそれと溶けあい体を痙攣させる兄、それをうらやましくみつめる子供。

*旧約聖書や古事記みたいな神視点で淡々と語られる、小説というよりもう詩歌に近い作品。
一文字空白、一行明けではなく/(スラッシュ)で、短い場面場面をつなぎあわせたような構成。
mundus (宇宙)を暗示するかのように、混沌が洪水のように押し寄せる。

子供の母が家出をして飛び乗った先の列車で女たちが糊状のかたまりになってゆく描写で、


あたしたちもう帰らなくていいのよこんなになっちゃえば帰りたくても帰れないし迎えにこられてももう誰が誰なんだか。



ってとこなんか初期の「蛇を踏む」っぽい。そういう寓話性は共通してるんだけども。それをもっとまがまがしく精緻に描いてる感じ。
正直これこのままでよく編集者OK出したな、それって何を暗示してんの、ってかこれって小説なの、おいてけぼりになる人いるんじゃないのこれ、いや正直私おいてけぼりなんですけど、とハラハラしながら読んだ。

川上弘美は穂村弘との対談集「どうして書くの?」の中で、「気づいたらこんな話になってた」という自動筆記型だと自分で言ってた。
先のリンクでも「性欲について書けば書くほど抽象性を帯びていく」とも言っていたので、川上弘美が5編書き連ねていく中で自身の根底に見つけた「性欲」周辺の手触りが、この「mundus」そのものなのかもしれない。
あるいは川上弘美の中にある「すさまじいもの」が、川上弘美の手を借りて書かせているのかもしれない。


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ちなみに5編の表題はそれぞれラテン語で水、土、風、火、宇宙だそうです。

それにしても川上弘美さん(今更さんづけ)って著者近影で見るかぎり性欲とは無縁そうなつるりとした顔をしてるんだけど、なんでここまでほのえろいものを感じかけるんだろうなあと思ってたら、実生活でも洪水のような体験をされていたようで……(ここには書かないので気になる人はぐぐってみてください)。
川上さんのすさまじいものがもうちょっと読めるのかなと下衆くぞくぞくしつつ、もう初期の頃のような毒の抜けた平穏なエッセイももう書かれることはないのかな、と思うと、ちょっと残念でもある。









これも気になりやす。川上弘美が伊勢物語書いてる。同じ内容?

「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」(2014年11月刊行開始)収録内容発表! | トピックス | 河出書房新社

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